2人の初対決は、1974年3月15日(金曜日)です。
そのとき、
アンドレは、28歳で、レスラー10年目。
猪 木は、31歳で、レスラー14年目。
アンドレ・ザ・ジャイアント(1946-1993)
1973年WWFと契約し、「アンドレ・ザ・ジャイアント」に改名。
1970年半ば~1980年前半、
世界で最も稼いだレスラーと云われた世界最高峰の人気レスラー。
アントニオ猪木(1943-2022)
1972年新日本プロレス旗揚げ。
1973年第14代NWFヘビー級王者。
初対決の試合結果は、
「アンドレ」の「ピンフォール勝ち(マネージャーのアシスト有)」でした。
この1974年の初対決から、
アンドレが新日本を離脱する1986年まで、
13年間、毎年のように2人は、戦っています。
通算成績は、
猪木側からみて、22試合6勝6敗8引2無効試合だそうです。
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☝2試合目の1974年ブラジルでのNWFヘビー級タイトルマッチです。
「猪木×アンドレ」の間にどのような「友情」が存在したかは、分かりませんが、
アントニオ猪木に2つの「称号」を与えてくれました。
1980年6月4日、日本人初の「アンドレを投げた男」という称号と、
1986年6月17日、世界初の「アンドレをギブアップさせた男」という称号です。
この「2つの称号」は、
「アンドレ」の「猪木(もしくは、新日本プロレスリング)」に対する敬意の表れかと。
※
ストロング小林も投げているそうですが、
改名前の「モンスター・ロシモフ」時代です。
1986年6月20日の
「佐川急便杯争奪トーナメント決勝戦」を最後に
「アンドレ」は「新日本プロレス」を静かに去りました。
通算22試合目、最後の試合結果は、「アンドレ」の「リングアウト勝ち」でした。
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