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『巨人の星』の星飛雄馬、最終シーズン3年目は果たして何勝したのか?

巨人の星(15) (週刊少年マガジンコミックス)

ゆけゆけ飛雄馬

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各選手の動向

●1969年の秋

 アームストログ・オズマは、中日ドラゴンズを退団。星一徹は、オズマの代わりに伴宙太の獲得を球団幹部に指示するも、巨人軍は「消える魔球」の秘密を握る伴のトレードを拒否。

●年明け

 花形満は、正月年始参り(!?)で村山新監督の自宅訪問中に「消える魔球」の謎を解明する。そして、真冬の六甲山に籠り、秘密特訓に入る。※星一徹が偵察し、花形の状況を把握。

 左門豊作は、「消える魔球」の謎残り20パーセントを解明できずにいたが、九十九里浜で特訓に勤しむ。※星一徹が偵察し、左門の状況を把握する。

 パリ滞在中の巨人軍川上監督のもとに、星一徹から電話が入る。「花形と左門の状況」を知らせる。川上監督は「消える魔球」が通じなくなるのも時間の問題と悟り、「5勝以上できる投手」を条件に伴宙太の中日トレードを承諾。

 漫画家・牧場(星飛雄馬の同級生。飛雄馬は牧場の身代わりで高校を中退する。)の野球まんがスタート記念座談会に「星飛雄馬花形満・左門豊作」が参加。その場で、「消える魔球」の秘密が解明され、シーズン開幕前に星飛雄馬は、絶望のどん底へ。伴宙太に「中日コーチ(星一徹)の指導のもと、日本のベーブ・ルースになってくれ…」と告げ、球場を去る。

 伴宙太は、球団から「中日ドラゴンズへのトレード」通告を受けるも、拒否。一時は引退を口にするも、飛雄馬の姉・明子から叱責され、結果、トレードを受け入れ、中日ドラゴンズに移籍する。星飛雄馬は、唯一無比の協力者を失い、孤立無援の1970年シーズンを迎えることに。

 

●開幕戦

 1970年の登板1試合目は、中日ドラゴンズ戦。2回裏、巨人軍開幕投手高橋一三がノックアウト。1死満塁の場面で星飛雄馬が緊急登板。ドラゴンズも3番高木守道に代えて、伴宙太を打席に送る。

 初球、外角低めにボール。3塁牽制球をはさんで、2球目、外角低めにボール。2ボールとなったところで、3球目に星飛雄馬は、大リーグボール1号を投げるも、伴は、秘打でファールに。その後、2球続けて、大リーグボール1号を投げるも、いずれもファール。タイム後、6球目に運命の「大リーグボール2号」を投げる。星一徹から打てのサインが出たため、伴宙太は強振するも、3塁大フライに倒れ、ランナーが飛び出していたため、ゲッツー。星飛雄馬は、このピンチを凌ぐ。

投球回数2/3、自責点

 

 登板2試合目は、阪神タイガース戦に先発登板。1回の裏。2死から田淵が2塁打を放ち、4番・花形満が登場。田淵3盗に成功。1ボール後の2球目の「大リーグボール2号」をヒッティングするも、センター大飛球に倒れる。4回裏の花形第2打席は、三遊間へのライナー。長嶋茂雄ダイビングキャッチで2打席凡退に。0対0で迎えた7回裏、三度目の対決へ。2ボールのあと、3球目の「大リーグボール2号」を、花形満は芯で捉え、レフト場外への大ホームラン。星飛雄馬は、そのまま降板。明確な情報がないものの、恐らく敗戦投手になったと思われる。

0勝1敗 投球回数7と1/3、自責点

 

●オールスター戦

 花形にホームランを打たれたあと、登板シーンが漫画には描かれていないものの、ファン投票で投手部門第3位に入り、オールスター戦に選出される。オールスター第1戦に、回不明ながら登板。同時に1塁には花形満、ライトには左門豊作が途中出場するという粋な演出。しかし「大リーグボール2号」の謎が解明されてしまった飛雄馬は、パ・リーグ強打者の通じず、滅多打ちされるも、花形・左門のハッスルプレーにより、失点は免れる。自身喪失の星は、続く2戦目の辞退を、川上監督に申し出るも、受け入れられず。

 第2戦の7回に登板。星飛雄馬は、投球フォームを下手投げに変更。放送席の解説陣から非難されるも、「野村勝也」「アルトマン」「張本勲」を三者三振に打ち取る。ベンチに戻ると、精魂尽きた星飛雄馬は倒れる。何の変哲もない直球にしか見えなかったが、実は「大リーグボール3号」を投げていたのだった。

 

●後半戦

 登板3戦目は、大洋ホエールズ戦に先発登板。巨人キラー平松政次との投手戦。星飛雄馬は、3回までに8奪三振を奪うなどの快投を見せ、3対0の1安打完封勝利。今シーズンの初勝利。

1勝1敗 投球回数9、自責点

 

 登板4戦目と5戦目は、対戦相手、スコア不明ながらも、ともに完封勝利。

3勝1敗 投球回数18、自責点

 

 登板6戦目は、阪神タイガース戦に先発登板。この日は江夏豊との投手戦。結果、2対0の2安打完封勝利。ちなみに花形満は、4打数ノーヒット。

4勝1敗 投球回数9、自責点

 

 登板7戦目は、中日ドラゴンズ戦で、1対0で巨人リードの7回裏、1死13塁の場面で救援登板。ドラゴンズは、代打に伴宙太を送るも3球3振。その後も抑え、救援に成功。

4勝1敗(1セーブ) 投球回数2と2/3、自責点

 

 登板8戦目は、中日ドラゴンズ終戦に先発で登板。星飛雄馬は、9回裏2死までパーフェクトピッチング。ここで「代打、伴宙太」が告げられる。

 大リーグボール3号の秘密を解読した星一徹の指令で、伴は、7回裏から逆立ちをさせられていたため、フラフラ状態でバッターボックスに。※フラフラ状態は、大リーグボールを破るための必要条件でした。

 大リーグボール3号とは、左腕の筋肉がボロボロ状態にあったため、偶然に投げることが出来た、まさに投手生命を削る「死の魔球」で、このとき星飛雄馬は、あと数球で筋肉断裂という状態でした。

 初球、空振りのあと、2球、3球、4球とボールが続き、カウントは、1ストライク3ボール。5球目、伴が大リーグボール3号を捉えると、ボールはレフトポール際にグングン伸びるも、僅かに切れて大ファウル。フルカウトから投じた運命の第6球目。投げた瞬間、「ピシッ」と星飛雄馬の左腕の筋肉が断裂。伴宙太は、持てる力でフルスイングすると、打球は、ライト方向へ2塁打性のあたりで、ライトフェンスに直撃。誰もがパーフェクトの夢破りたりと思った瞬間、伴が1塁直前でダウン(長時間の逆立ちのため)。ボールは、外野からセカンドが中継してファーストへ。きわどいクロスプレーとなり、1塁塁審は、一度は「アウト」を宣告するも、伴の抗議に判定を「セーフ」へ覆したため、判定は…。結局、エピローグに「対中日戦がパーフェクトであったか否か、巨人軍はコミッショナーに提訴し、いまだもめている」とあるので、はっきりませんが、今回は、パーフェクト達成とします。

5勝1敗(1セーブ) 投球回数9、自責点

 シーズン3年目は、投球回数もはっきりと分かっているので、防御率も出すことができました。

●1970年成績 星飛雄馬(19)
  8試合5勝1敗(1セーブ) 防御率0.16(投球回数55と2/3)

 登板数と勝ち星が3年間の中でもっとも少ないシーズンですが、失点は、花形満のソロホームランの1点だけでした。終盤には、47と2/3イニング連続無失点を記録。ちなみに日本プロ野球でみると5位の記録でした。また5試合連続完封は、2リーグ制後では、阪神タイガース小山正明(1962)と並ぶ1位の記録です。

1位 金田正一(国鉄) 1958年 64と1/3回
2位 藤本英雄(巨人) 1943年 62回 
3位 杉浦忠 (南海) 1959年 54と2/3回 
4位 別所毅彦(巨人) 1955年 49と2/3
5位 藤川球児(阪神) 2006年 47と2/3

巨人の星 ミュージック・ファイル

 結局、星飛雄馬は、中日最終戦のあと行方不明なり、「球界もファンも騒然となったが、やがてわすれ去られた…」とあります。星飛雄馬の実働年数は僅か3年で、20歳前には引退という厳しい野球人生でした。 

●1968年成績 星飛雄馬(17)13試合10勝2敗(2セーブ)
●1969年成績 星飛雄馬(18)15試合12勝0敗(1セーブ)
●1970年成績 星飛雄馬(19)8試合5勝1敗(1セーブ)防御率0.16

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巨人の星 1?19巻セット KC

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  しかし、星飛雄馬は、1976年、前年度巨人軍史上初の最下位に沈んだ長島ジャイアンツを救うため、今度は右打者としてカンバックするのです。