普段は、どちらかというと、あまり歌詞を気にしません。僕は、たぶんメロディ派です。とは言っても、好きな歌は、何度も聴くので、歌詞が耳に残ることがある。
ところが、記憶力の弱い僕は、部分的にしか歌詞が残らないので、誤解したり、曲解したり、歌の雰囲気を損なう事態がまま起きてしまいます。
そんなわけで、そんな現象が起きた歌詞を紹介する音楽の小話です。
①JUDY AND MARYの「散歩道」
(2分45秒あたりから)
「前よりも優しくなって 見た事ない顔で笑う」
ちょっと怖い。見た事ない笑い顔だと微笑ましいのだけど、「見た事ない顔」で「笑う」とあるので、なんかゾゾゾーとしてしまう。
②デビルマンの主題歌「デビルマンのうた」
(35秒あたりから)
「デビルアローは 超音波
デビルイヤーは 地獄耳」
サビで、デビルマンの必殺技が列挙されるが、二つ目に、早くも「地獄耳」が押し出されてしまう。地獄耳は、近所のオバサンの必殺技と重なってしまうので、あまりカッコよく思えない。「地獄耳」に引っ張られるせいで、7番目の必殺技「デビルアイなら 透視力」も、なんか不純な技に思えてしまう。
③浜田省吾の「もうひとつの土曜日」
(3分18秒あたりから)
「今夜 町に出よう 友達に借りた
オンボロ車で 海まで走ろう」
せっかく貸してあげたのに、「オンボロ車」なんて言われたら、悲しい。友達とは、そういうものなのか、僕には、友達がいないので、分からず、なお悲しい。
④KREVAの「くればいいのに feat.草野マサムネ from SPITZ」
(1分24秒あたりから)
「逢いたいと思うその時には
あなたがいない
今すぐ逢いには行けないから
あなたがくればいいのに」
僕には、「あなたがくればいいのに」のインパクトが強いので、「逢いたいときは、あなたがくればいいのに」と言っていると思い込み、悪い女だなと誤解していた。
⑤一休さんの主題歌「とんちんかんちん一休さん」
(15秒あたりから)
「とんちはあざやかだよ いっきゅうひん
どきょうはまんてんだよ いっきゅうひん
いたずらきびしく いっきゅうひん」
「とんちはあざやか」、「どきょうはまんてん」は、一級品だなあと思うが、「いたずらきびしく」は、一級品か(!?)辞書を引くと、「いたずら」は、「人が困るような悪さをすること。悪ふざけ。」とあり、「きびしい」は、「程度がはなはだしいさま。」とあるから、「悪ふざけの程度がはなはだしい」なんて、これは、大問題だ。
⑥THE YELLOW MONKEYの「BURN」
3分43秒あたりから
「飛べない鳥はとり残されて
胸や背中は大人だけれど」
THE YELLOW MONKEYは、好きな歌い手だけれでも、歌詞が難解で、意識が持っていかれてしまうことが多い。まず「鳥はとり残されて」で駄ジャレ(!?)となり、曲の格好よさが削がれたところに「胸や背中は大人だけれど」が来てしまう。「胸や背中が大人」、これが非常に気になる。
「胸や背中が大人 → 立派な胸や背中 → 飛べない鳥で胸が立派!?」と連想の結果、いつもココで「ダチョウ」が浮かんでしまう。