でしょうね
あまり良い印象のない言葉。
品詞分解すると、
なぜ、印象が良くないか、よく分かる。
「です」+「う」+「ね」となる。
・「です」
「です」は、丁寧な断定だが、断定。
・「う」
「う」は、推量。
推量は、「おしはかること。」、「推測。」、「推察。」
注意することは、
「推量」には、「根拠がない」ということ。
根拠のある推量は、推定で、
推定の助動詞には、
「らしい」、「ようだ」がある。
それにも関わらず、
「明日は、雨でしょう。」
「明日は、雨らしい。」
「明日は、雨のようだ。」
と比べると、
「明日は、雨でしょう。」が
もっとも「根拠ある情報」のように聞こえてしまう。
「雨らしい」、「雨のようだ」は、
どこか他人事のように聞こえる。
断定の「です」が効いているのか、
根拠の意味を取り違えているのか。
それとも、僕だけの感覚か。
・「ね」
「ね」は、
「詠嘆からの念押し。」、
「主張からの念押し。」、
「同意からの念押し。」などがあるが、
とにかく、念を押すこと。
根拠なく、断定して、さらに念を押すなんて、
これは、かなり悪い。
「だろうね」も、
丁寧が抜けただけで、あとは、全く同じ構造。
「でしょうね」と「だろうね」の違いは、
「丁寧さ」があるか、ないかだが、
なぜか、「でしょうね」の方が悪く感じる。
「でしょうね」の「丁寧さ」が悪く働いているのだろうか。
「丁寧さ」=「小馬鹿にされた」と感じるのかもしれない。