「走ってない」は、
「走っていない」の「い」抜き言葉ですが、
「置いてない」は、どうでしょうか?
「い」抜き言葉とは、
本来は、「走っていない」と書かなければいけないところを
「い」が欠落して、
「走ってない」と書いてしまう文法上の間違いを
「い」抜き言葉と呼んでいます。
では、
なぜ、「走ってない」は、「い」抜き言葉なのか?
「走ってない」は、文法上は、どうなっているのか?
文節に区切ると、
「はしって」+「ない」となり、
この「ない」は、自立語になります。
自立語になる「ない」は、「形容詞」しかないので、
この「ない」が形容詞なら、
「い」抜き言葉には、なりません。
では、確かめます。
「ない」が形容詞なら、
「ありません」への置き換えが可能です。
置き換えます。
「はしって ない」
↓
「はしって ありません」となり、
意味が通じないので、成立しません。
よって、
「『ない』は、形容詞ではない」ということになり、
「走って ない」は、間違った表現となります。
「走ってない」=「い」抜き言葉
では、
「置いてない」は、「い」抜き言葉なのか?
さっきの手順で、
「ない」を「ありません」に置き換えると、
「置いて ない」
↓
「置いて ありません」となり、
意味が通じるので、言葉として成立してしまいます。
ということは、
「置いてない」は、「い」抜き言葉ではありません。
なぜ、「い」抜き言葉が生まれたのか?
他にも、
「○○て+ない」と表現できる動詞(「書く」や「巻く」など)が存在するため、
「置いてない」「書いてない」「巻いてない」という音の響きが
本来「い」抜き言葉となる動詞(「走る」や「泣く」など)にも、
適用されてしまったのではないかと思われます。
最後に
「い」抜き言葉となる動詞と
「い」抜き言葉にならない動詞の違い。
ココからは、taketakechopの独自の解釈ですので、あしからず。
■「い」抜き言葉になる動詞の例
泣いて ありません。
知って ありません。
打って ありません。
売って ありません。
待って ありません。
持って ありません。
飛んで ありません。
見て ありません。
来て ありません。
■「い」抜き言葉にならない動詞の例
置いて ありません。
書いて ありません。
巻いて ありません。
切って ありません。
噛んで ありません。
読んで ありません。
煮て ありません。
して ありません。
投げて ありません。
曲げて ありません。
混ぜて ありません。
動詞には、
動作の開始から動作の終了するまでの「時間幅」があります。
このとき、その動作が
その「時間幅」の開始から終了直前を
指している(=継続中の)場合は、
「ありません」が使えないと考えられ、
泣く≒泣いている
知る≒知っている
一方、その動作が
「時間幅」の終了部分を指している(=完了の)場合は、
「ありません」が使えると考えられる。
置く≠置いている
書く≠書いている
まとめ
・「い」抜き言葉になる動詞と
「い」抜き言葉にならない動詞がある。
・「い」抜き言葉にならない動詞は、
動作の完了を表している動詞である可能性が高い。