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「爆弾小僧」ダイナマイト・キッド追悼特集。1980年代のプロレス百科のダイナマイト・キッド紹介文まとめ

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 2018年12月5日の朝、ダイナマイト・キッド選手がお亡くなりなられたそうです。実弟マークとマークの娘リア・ビリントンのふたりに看取られ、苦しむ様子はなく、静かに息を引きとられたそうです。この日は、ダイナマイト・キッドの誕生日で、60歳でした。

 訃報の翌日には、初代タイガーマスクの佐山聡率いる「リアルジャパンプロレス」後楽園ホール大会のリング上で、ダイナマイト・キッドを追悼する10カウントゴングが捧げられました。

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 小学生の僕にとってのダイナマイト・キッドは、初代タイガーマスクのライバルでした。あの頃の僕は、タイガーマスクしか見えていなかったので、「爆弾小僧」ダイナマイト・キッドの恰好良さはわかりませんでしたが、大学生になった頃、ようやくダイナマイト・キッドの恰好よさに気がつきましたが、遅かったなあ。

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 ●ダイナマイト・キッド 対 ランディー・サベージ

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●ダイナマイト・キッド 対 タイガーマスク

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●僕の好きなダイナマイト・キッドのエピソード

①1981年4月23日 初代タイガーマスクデビュー戦の試合直後、まだ新人だった頃の前田日明のコメント「あんだけの試合ができたのは、相手がキッドだったからだよ。」「あの攻め、キッドだから受けられたんだよ」

②1981年4月23日 初代タイガーマスクデビュー戦にダイナマイト・キッドを選んだのは、アントニオ猪木だった。

③ダイナマイト・キッドは、ロサンゼルスの空港で、猪木を見かけたが、猪木には話しかけなかったといいます。その理由は、「猪木さんと私では、格が違って、失礼にあたると思ったので」(『昭和プロレス迷宮入り事件の真相』より)

●主な経歴

17歳=1975年、デビュー
21歳=1979年、国際プロレスに初来日
22歳=1980年、新日本プロレスに初登場
23歳=1981年、初代タイガーマスクのデビュー戦で対戦
24歳=1982年、タイガーマスクと年間5度対戦
26歳=1984年7月、第10代WWF認定ジュニア・ヘビー級王者に
   1984年11月、全日本プロレスに移籍
27歳=1985年、WWFに本格参戦。 "ブリティッシュ・ブルドッグス" を結成
28歳=1986年、カナダの試合で椎間板に重傷を負う
30歳=1988年、WWFを離脱
31歳=1989年、全日本プロレスに再び参戦
33歳=1991年、現役引退を表明(1993年一時復帰)

●ザ・ブリティッシュ・ブルドッグス

 従兄弟のデイビーボーイ・スミスと結成したタッグチーム。1986年4月、WWF世界タッグ王座を奪取しました。

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●1980年代の各プロレス大百科のダイナマイト・キッド紹介文

①爆弾小僧ダイナマイト・キッド

身長180㎝/体重90㎏/イギリス出身。本名=トム・ブリントン

 1974年にプロレスデビュー。欧州を転戦したあと、カナダを中心に活躍。藤波辰巳と好勝負を展開したあと、現在はタイガーマスクの宿敵として注目されている。ジュニアヘビー級の選手だが、小気味よいファイトぶりにファンも多い。ヤング選手の代表的存在だ。

小学館コロタン文庫89『決定版プロレス激闘全百科』(1983年小学館発行)より

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②タイガーの宿敵は「英国の暴れん坊」ダイナマイト・キッド

身長173㎝/体重90㎏

 ダイナマイト・キッドはタイガーマスクの宿敵ともいえる存在だ。デビュー戦で奇しくも激突、タイガーがジャーマン・スープレックス・ホールドでフォールして以来、好敵手となった。タイガー・マスクVSダイナマイト・キッドはスピードといい、テクニックといい屈指の好カード、毎回名勝負を重ねている。57年度はこのキッドとタイガーの死闘が話題を呼んだ年だ。1月1日のヘビー級王座決定戦、1月28日、8月5日の2度の防衛戦、そして8月30日のニューヨーク・マジソン・スクエア・ガーデンでの決戦など57年度だけで5度対戦、いずれもタイガー勝利を飾ったが、キッドに相当痛めつけられたのも事実である。
 キッドの出身は英国のランカシャー地方。そのラフファイトに強いレスリングはキッドに「英国の暴れん坊」という異名をもたらした。倒れた相手にもガンガン攻めてくるキッドのダイナマイト・ファイトにタイガーも学んだひとり。現在カナダ在住。

ケイブンシャの大百科『アントニオ猪木 タイガー・マスク大百科』(1983年勁文社発行)より

  

 

 

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③爆弾小僧ダイナマイト・キッド

得意技ダイビング・ヘッドパット

身長180㎝/体重98㎏/生年月日1958年/出身地ランカシャー(イギリス)/主なタイトルWWF認定ジュニア・ヘビー級チャンピオン

 13歳のころからボクシングとアマレスを始め、16歳でプロレス界入り。デビュー1年たらずでブリティッシュ・ライト級王座とヨーロッパ・ウェルター級王座を獲得した。
 そのダイナミックなファイトぶりから「ダイナマイト・キッド」というリングネームがつけられた。その後カナダに転戦、カルガリー地区のメインイベンターとして活躍した。
 日本には1979年、国際プロレスのマットに初登場。1980年には新日プロの「新春黄金シリーズ」に参加し、藤波のWWFジュニア・ヘビー級タイトルに挑戦し、藤波、さらにタイガーマスクとのジュニア・ヘビー戦争を続けた。
 1984年1月、WWFジュニア・ヘビー級王座決定戦で、いとこのデービーボーイ・スミス、NWA世界ジュニア・ヘビー級王者のザ・コブラを破って、念願のベルトを獲得した。切れ味の鋭い技は、威力十分。まさに、ジュニア・ヘビーの王者だ。

『最新!超人プロレスラー超百科』(1985年廣済堂発行)より

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④爆弾小僧ダイナマイト・キッド

身長180㎝/体重98㎏/1958年/イギリス・ランカシャー・ゴルボーン/初来日1979年7月/得意技ダイビング・ヘッドパット

 13歳のときからアマレスを始め、1975年にT・ベットレイにスカウトされてプロレス入り。イギリスと全ヨーロッパのウェルター級選手権をそれぞれ獲得。1978年にカナダ・カルガリー地区に渡り、同地区のインター・タッグ、および英連邦選手権を奪取。昭和54年7月に国際プロレスで、阿修羅・原の持つWWU認定世界ジュニア・ヘビー級タイトルに2度にわたって挑戦した。翌55年1月から、日本における戦いの場を新日本プロレスに移す。56年4月23日、東京蔵前国技館でタイガーマスクの記念すべきデビュー第1戦の相手を務める。この一戦で惜敗が持ち前のファイティング・スピリット(闘争心)に火を付け、以後は、「打倒!タイガーマスク」にレスラー生命をかけてきた。

 まったく引くことを知らない妥協のないレスリングぶりは「小型スタン・ハンセン」ともいわれる。必殺技のツームストン・ドライバー(墓石落とし)でタイガーマスクの首の骨を痛めつけ、シリーズを欠場させたこともある。いずれは、ジュニア・ヘビー級の最高峰を極める成長株だ。

ビッグコロタン⑤『プロレスラー300大名鑑』(1984年小学館発行)より

 

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