3代将軍「実朝」が暗殺され、
河内源氏直系の血統が途絶えます。
第4代将軍に「後鳥羽上皇の皇子」を希望したそうですが、
「後鳥羽上皇」に断られたそうです。
最終的に4代将軍に就任したのは、
藤原摂家「藤原道家」の子「頼経」でした。
「藤原道家」は、
「保元の乱」で「後白河天皇」に与した一人「藤原忠通」の「ひ孫」です。
また、
「藤原道家」は、
「藤原道長」から数えて、「8代目」にあたります。
理由は、
「藤原道家」の妻「りん子」が「坊門姫」の孫で、
(「坊門姫」は、「源頼朝」の同母妹です。)
「頼経」に「河内源氏の血」が流れているからでしょうか。
しかし、
摂家将軍は、「頼経・頼嗣」の親子2代で終わります。
次に「第6代将軍」として迎えられたのが
「後嵯峨天皇」の第一皇子「宗尊親王」です。
ちなみに
後嵯峨天皇の子の「後深草天皇」と「亀山天皇」の間で後継者争いが起こり、
「後深草天皇=持明院統」と
「亀山天皇=大覚寺統」が生まれ、
室町時代に入ると、
「持明院統=北朝」「大覚寺統=南朝」に発展します。
鎌倉幕府歴代将軍の中で、
「宗尊親王」だけが「河内源氏の血統」ではない将軍です。
「宗尊親王」以外には、坊門姫(=河内源氏)の血が流れています。
さらに、
第7代将軍と第9代将軍に至っては、
「河内源氏」「藤原摂家」「後嵯峨天皇」の「3つの血統」が合わさっています。