ブルース・リー Bruce Lee
1970年代に世界的なカンフーブームを巻き起こしたカンフーの達人。
・1940年に生まれる。広東オペラの俳優であった父がアメリカ巡業中だっため、巡業先のサンフランシスコで誕生。
・1953年~1958年、13歳~18歳の5年間、「詠春拳」葉問派宗師の葉問(イップ・マン)のもとで修業した。
『イップ・マン 序章』2008
監督/ウィルソン・イップ
主演/ドニー・イェン
ブルース・リーの師匠「葉問(イップ・マン)」をモデルにして創作したお話。2008年の『イップ・マン 序章』に始まり、『イップ・マン 葉問』(2010年)、『イップ・マン 継承』(2015年)と続きます。
※第3弾の『イップ・マン 継承』ではドニー・イェンが、あのマイク・タイソンと拳を交えています。
・1958年、17歳で出演した『雷雨』がヒットし、顔が売れ、素行が悪くなったブルース・リーは、ヤクザとの喧嘩で警察沙汰に。避難するかたちで、18歳のときにサンフランシスコに渡米。ワシントン州立大学哲学科に進学し、シアトルのチャイナタウンで功夫道場「振藩功夫國術館」を開く。
・1964年、リンダ・エミリーと結婚。大学を中退し、オークランドに移転。
・1966年、「拳を截つ(=防ぐ)道(=方法)」という意味を持つ「截拳道(ジークンドー)」を創始する。TVシリーズ『グリーン・ホーネット』の助手兼運転手である日系アメリカ人「カトー青年」役に抜擢される。ちなみに、カトー青年は、目の周辺だけを隠す黒マスクをつけていますが、このマスクをアメリカでは、「ケイトーマスク」と呼ぶそうです。
念願のドラマ主演は、実現せず。
このあと『燃えよ!カンフー』の企画を立ち上げるも、主役に抜擢されず、失意の中、香港に帰還。このあたりのエピソードは『ドラゴン/ブルース・リー物語』で確認できます。
『ドラゴン/ブルース・リー物語』1993
監督/ロブ・コーエン
主演/ジェイソン・スコット・リー
どこまで史実に基づいているのか、いないのか、分かりませんが、良い映画です。僕のブルース・リー観が「アチョー!アチョー!」から「Don't think, Feel」に変わることになる大切な1本です。ブルース・リーに興味のある方は、ぜひどうぞ。監督は、『ドラゴン・ハート』『ワイルド・スピード』『ハムナプトラ3』のロブ・コーエンです。また、当時、海の向こうではスーパーファミコンで『ドラゴン/ブルース・リー物語』のゲームが出ていたくらいなので、それなりにヒットしたのではないかと思われます。
『燃えよ!カンフー』1972-1975
1972年~75年までの3年間、米国ABC系で放送されたTVドラマ。全62話。東洋人そのものであるブルース・リーの起用は見送られ、代わりにデビッド・キャラダインが主役に抜擢された。
ブルース・リー VS デビッドキャラダイン、因縁の対決は『キル・ビル』で。
そういう因縁もあってか、クエンティン・タランティーノの『キル・ビル』では、ブルース・リーも投影された主人公を演じたユマ・サーマンの適役は、最終的にデビッド・キャラダインが務めています。
・1970年、香港最大の映画会社「ショウ・ブラザース」に企画を売り込むも採用されず失敗に終わるのだったが…。
後編は、1970年の香港復帰後から亡くなるまでの3年間を。